万能ネギになりたい
その日は推薦入試の話題で教室の空気がざわついていたのを覚えている。独特の浮足立ったような、それでいて妙に現実的な焦燥感が漂う空気。内申点という、どうにも相性の悪い仕組みによって、土俵にすら立てなかったわたしは、それを遠い国の話のように観ていた。
試験を終えた入試組が教室に戻ってくると、周りがどっと沸いた。「何聞かれた?」「作文どう書いた?」。そういうやり取りの中に、手応えに対するそれぞれの感情と、それでも終わったことへの安堵が感じられた。
たくさんのそんな会話の中で、わたしは矢神くんの話だけが、ずっと心に残っている。彼は、わたしと同じように、熱狂からは少し距離を置いているように見えた。
グループ面接で「自分を野菜に例えるなら?」と聞かれた、と彼は言った。 たぶん、多くの受験生は、自分の長所と野菜の特徴を結びつけて、もっともらしい答えを出しただろう。「私は粘り強いところが、山の芋に似ています」とか、あるいは大根のように、「冬の寒さに耐えて甘みを増す」自分をアピールするとか。それらは野菜を用いて自分を表現する適切な比喩であり、賢い回答だと思う。
でも、矢神くんは少し考えた後、「私は、万能ネギになりたいです」と答えたそうだ。それを聞いたとき、わたしは思わず心の中で快哉を叫んだ。もちろん、面接の「正解」ではないのだろう。「自分を例えろ」という問いに、「なりたいもの」で返す。設問の意図からは、たぶん、ずれている。
だけど「万能ネギになりたい」という言葉には、妙に前向きな意志と可能性を感じる。何にでも合わせられ、どんな料理にもそっと寄り添って味を引き立てる。そうした万能ネギのポテンシャルを最大限に評価しているところがいい。主役にはなることは少ない野菜だが、そこがまた控えめで誠実な矢神くんの人物像と合っていた。わたしは、わずか数秒の中でこの答えを導き出した彼のセンスが、心底好きだ。
筆記試験では、「なるほど、と思ったこと」をテーマに作文を書かされたそうだ。彼は、合唱コンクールで隣になった男子が、本番中ずっと口パクで「参加」していたことについて書いたという。「ずるい」とか「不真面目だ」と感じる代わりに、ただ『なるほど』と思ったらしい。理由は「そういう選択もあるのかと気づいたから」。
それを聞いたとき、わたしは笑ってしまった。こちらもおそらく、出題者が期待した「なるほど」とは違うのだろう。もっと、社会の仕組みや自然の摂理に対する知的な気づきのようなものを求めていたのかもしれない。でも、わたしには彼の「なるほど」の方が、ずっと腑に落ちた。批判でも諦めでもなく、ただ「そういう選択もあるのか」と、自分の中になかった世界をそのまま受け入れる。それは、とても純粋な驚きであり、納得だったはずだ。そこに彼の、ある種の優しさというか、人を簡単に断罪しない視線を感じた。
結局、矢神くんは推薦入試には受からなかった。まあ、そうだろうな、と思った。面接で万能ネギへの憧れを語り、作文で口パクへの感心を述べるような生徒を、高校入試という枠組みは、たぶん、うまく評価できない。評価する物差しを持っていない。
それでも、そうした画一的な評価によって集められた人間が集まる場所は、きっとあまり面白い場所ではないのだろうなと想像した。そして案の定そうだった。わたしと彼は一般受験でその高校に進んだが、そこはやはり、窮屈で退屈な場所だった。
毎年、入試や就職試験の時期になると様々なエピソードがネットにあふれる。「個」を見られるようになった話を聞くことあるが、まだまだ「型」で判断する試験もあるようだ。模範解答とされるもの自体が、本当にそれほど価値のあるものなのだろうか。多くの人が疑問に思いながら、儀式は続いている。
寒くなり、鍋の美味しい季節。薬味に万能ネギを刻むたびに、あの時の矢神くんの答えを思い出してしまうのである。
追記:10月24日に公開、10月26日に大幅な加筆修正を行いました。
© 2026 SOU KANDA